HPを開設するにあたり、付属のブログを開こうと設置しました。
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グレン・グールドはバッハの音楽に愛されたピアニストである。
「バッハに愛された」ピアニストでもなく、
「バッハを愛した」ピアニストでもないところに注目して欲しい。
グールドもキャリアの最初では、
バッハの音楽をほかの作曲家の楽曲同様に、ふつうに弾きはじめただろう。
だから、ピアニストの初期には、バッハの楽曲はただのレパートリーにすぎなかったはずだ。
しかし、彼はバッハの音楽に愛されてしまったのである。
彼が愛するよりもなお、音楽の方が彼を愛しているように思えるのだ。
それはつまり、バッハの楽曲がグールドというピアニストが登場することを待っていたということである。
それまでは、バッハの楽曲は楽譜のなかに閉じこめられて、音楽としての具現化を果たしていなかったのだ。
ところが、ひとたびグールドという演奏家を発見して、
この世界にその美しい音楽の姿を現したのではないだろうか。
バッハの音楽は、彼の身体を通じて、この世界に降臨しているような気が私にはする。
グールドはすぐれたピアニストであるが、
よりいっそうにバッハの楽曲の降霊者、具現者であるような気がする。
おそらく、バッハが生存していた時代にも、
グールドほどバッハの楽曲をうまく表現する演奏者はいなかったはずだ。
だから、比喩的にも、本質的にも、
「バッハの楽曲はグールドの登場を待ちわびていた」と表現したい。
「バッハに愛された」ピアニストでもなく、
「バッハを愛した」ピアニストでもないところに注目して欲しい。
グールドもキャリアの最初では、
バッハの音楽をほかの作曲家の楽曲同様に、ふつうに弾きはじめただろう。
だから、ピアニストの初期には、バッハの楽曲はただのレパートリーにすぎなかったはずだ。
しかし、彼はバッハの音楽に愛されてしまったのである。
彼が愛するよりもなお、音楽の方が彼を愛しているように思えるのだ。
それはつまり、バッハの楽曲がグールドというピアニストが登場することを待っていたということである。
それまでは、バッハの楽曲は楽譜のなかに閉じこめられて、音楽としての具現化を果たしていなかったのだ。
ところが、ひとたびグールドという演奏家を発見して、
この世界にその美しい音楽の姿を現したのではないだろうか。
バッハの音楽は、彼の身体を通じて、この世界に降臨しているような気が私にはする。
グールドはすぐれたピアニストであるが、
よりいっそうにバッハの楽曲の降霊者、具現者であるような気がする。
おそらく、バッハが生存していた時代にも、
グールドほどバッハの楽曲をうまく表現する演奏者はいなかったはずだ。
だから、比喩的にも、本質的にも、
「バッハの楽曲はグールドの登場を待ちわびていた」と表現したい。
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明治文豪に二大巨頭がある。ひとつはジャーナリズムと文学を結びつけた夏目漱石。もうひとつは、国家と文学とを結びつけた森鴎外である。
一般に、学校の教科国語のなかにおいても、売り上げにおいても、夏目漱石が森鴎外をうわまわることが甚だしい。日本では鴎外と言えば官僚と軍閥の系列であり、夏目漱石といえば民間と反戦の言論人であると信じられている。私はその傾向をして「漱石びいき」だと言いたい。
一般に、学校の教科国語のなかにおいても、売り上げにおいても、夏目漱石が森鴎外をうわまわることが甚だしい。日本では鴎外と言えば官僚と軍閥の系列であり、夏目漱石といえば民間と反戦の言論人であると信じられている。私はその傾向をして「漱石びいき」だと言いたい。
業界のなかでのチカラ関係で決まる賞レース。
どこから見ても、選ぶ前に選ばれている音楽賞というのは、ほとんどギャグ。
選ばれると、逆に品位を疑われる賞になってしまった「レコード大賞」。
わかりやすいくらい、特定のレコード会社や所属事務所に偏っている。
そのことに世間知があるから、誰も「賞」だなんて考えていない。
特定のアーティストを名指しして、批判してもいいが、
そういうことをすると、ネット右翼レベルに品位が下がるのでやらない。
ネット右翼の愛国というのは、
自宅に山ほどの中国製のアニメフィギュアを抱えながら、
中国人をバカにする、矛盾の権化だ。
韓国人をバカにする態度も似たり寄ったり。
焼き肉屋ではキムチを喰い、
安価なスポーツ用品の生産国が韓国であることを、
上着の内側に隠しているような愛国だろう。
アニメにしたって、ほかの芸能にしたって、
中国抜き、韓国抜きにしたら、
スカスカになってしまうくらい、根を張られているのだ。
いまさら、新人賞が韓国人だからどうの、というのも馬鹿げてる。
もちろん、逆説だってある。
中国や韓国だって、日本の文化の盗作抜きにはありえない。
だから、結局は盗んだり盗まれたりだ。
漢字って中国から盗んだんだろ。
陶器って朝鮮半島から盗んだんだろ。
茶碗で喰って、漢字で言葉を書いてたら、
韓国や中国の盗みグセなんて、そうそう悪くも言えない。
どこから見ても、選ぶ前に選ばれている音楽賞というのは、ほとんどギャグ。
選ばれると、逆に品位を疑われる賞になってしまった「レコード大賞」。
わかりやすいくらい、特定のレコード会社や所属事務所に偏っている。
そのことに世間知があるから、誰も「賞」だなんて考えていない。
特定のアーティストを名指しして、批判してもいいが、
そういうことをすると、ネット右翼レベルに品位が下がるのでやらない。
ネット右翼の愛国というのは、
自宅に山ほどの中国製のアニメフィギュアを抱えながら、
中国人をバカにする、矛盾の権化だ。
韓国人をバカにする態度も似たり寄ったり。
焼き肉屋ではキムチを喰い、
安価なスポーツ用品の生産国が韓国であることを、
上着の内側に隠しているような愛国だろう。
アニメにしたって、ほかの芸能にしたって、
中国抜き、韓国抜きにしたら、
スカスカになってしまうくらい、根を張られているのだ。
いまさら、新人賞が韓国人だからどうの、というのも馬鹿げてる。
もちろん、逆説だってある。
中国や韓国だって、日本の文化の盗作抜きにはありえない。
だから、結局は盗んだり盗まれたりだ。
漢字って中国から盗んだんだろ。
陶器って朝鮮半島から盗んだんだろ。
茶碗で喰って、漢字で言葉を書いてたら、
韓国や中国の盗みグセなんて、そうそう悪くも言えない。

戦争について、いつも思うこと。戦争についていつも思うことがある。
威勢のいい指揮官が多いなあ、ということだ。
しかも、そういう人に限って、戦場には出てこないということ。
だから、ひとつ嘆願でも書いてみようと、下書きしてみた。
威勢いい指揮官の「指揮官」は、「愛国者」でも構わないよ。
ほんと。愛国者なら前線にいかないとね。
本文は以下。
