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アメリカ南部に発祥したジャズがうんだ二つの流れ
ひとつは発祥である黒人音楽の伝統を重視したディキーシーランド・ジャズ。これは黒人教会などと密接な関係を持ち、黒人の娯楽としてアウトドアを基本にして演奏された。それゆえに、白人たちからは軽蔑され、白人たちの面前で演奏される音楽とはなりえなかった。
そこで、もうひとつのジャズが派生した。ラグタイム・ジャズである。ラグタイム・ジャズは白人たちの酒場をにぎわすために、白人好きのする楽器編成にジャズを組み直した。そのために、アウトドアを基本とするディキーシーランド・ジャズの根本を覆し、ジャズをインドア・ミュージックに組み替えた。そして、白人たちから演奏料をとることを可能にした。ジャズが音楽を商売にした転換点ともなった。
この二つの流れは以後も続くことになったが、ラグ・タイムから発展したスウィング・ジャズが、現在ジャズと呼ばれている本流をつくることになったから、不思議である。
ラグタイムの楽器編成
ラグタイム・ジャズの楽器編成について、少し触れたい。
ラグタイム・ジャズの楽器が白人たちの耳馴染みのする楽器構成に変わったことはすでに延べた。それはどういう種類の楽器かと言えば、アメリカン・カントリー・ミュージックと呼ばれている種類の音楽と重なる楽器である。バンジョーやヴァイオリン、ウッド・ベース、アップライト・ピアノ等々。これらはブルー・グラスやカントリーと呼ばれる白人音楽のなかで好まれた楽器であり、そもそもアイルランド移民たちが持ち込んだ音楽の発展である。アメリカの中央部や南部に移民してきた白人マイノリティたちは、そのおおよそがアイルランド人などのカトリック宗派の移民たちであった。しかも、音楽的に言うと弦楽器を中心にした西欧音楽の中でも異端、民族色の濃い演奏スタイルであった。
ラグタイム・ジャズはそのブルー・グラスやカントリー音楽とジャズが融合してできあがったものである。ジャズは融合の音楽とよくいうが、まさしく西部開拓時代にしてすでに、音楽的な融合の端緒を示していた。
ひとつは発祥である黒人音楽の伝統を重視したディキーシーランド・ジャズ。これは黒人教会などと密接な関係を持ち、黒人の娯楽としてアウトドアを基本にして演奏された。それゆえに、白人たちからは軽蔑され、白人たちの面前で演奏される音楽とはなりえなかった。
そこで、もうひとつのジャズが派生した。ラグタイム・ジャズである。ラグタイム・ジャズは白人たちの酒場をにぎわすために、白人好きのする楽器編成にジャズを組み直した。そのために、アウトドアを基本とするディキーシーランド・ジャズの根本を覆し、ジャズをインドア・ミュージックに組み替えた。そして、白人たちから演奏料をとることを可能にした。ジャズが音楽を商売にした転換点ともなった。
この二つの流れは以後も続くことになったが、ラグ・タイムから発展したスウィング・ジャズが、現在ジャズと呼ばれている本流をつくることになったから、不思議である。
ラグタイムの楽器編成
ラグタイム・ジャズの楽器編成について、少し触れたい。
ラグタイム・ジャズの楽器が白人たちの耳馴染みのする楽器構成に変わったことはすでに延べた。それはどういう種類の楽器かと言えば、アメリカン・カントリー・ミュージックと呼ばれている種類の音楽と重なる楽器である。バンジョーやヴァイオリン、ウッド・ベース、アップライト・ピアノ等々。これらはブルー・グラスやカントリーと呼ばれる白人音楽のなかで好まれた楽器であり、そもそもアイルランド移民たちが持ち込んだ音楽の発展である。アメリカの中央部や南部に移民してきた白人マイノリティたちは、そのおおよそがアイルランド人などのカトリック宗派の移民たちであった。しかも、音楽的に言うと弦楽器を中心にした西欧音楽の中でも異端、民族色の濃い演奏スタイルであった。
ラグタイム・ジャズはそのブルー・グラスやカントリー音楽とジャズが融合してできあがったものである。ジャズは融合の音楽とよくいうが、まさしく西部開拓時代にしてすでに、音楽的な融合の端緒を示していた。
アメリカ黒人にとってのキリスト教
アメリカの黒人音楽を考察をする際にどうしてもさけて通れない問題が、黒人たちの宗教である、アフロ・アメリカン的なキリスト教の存在である。
なぜアフリカから連れて来られた黒人奴隷たちは、主人である白人たちの神であるキリストを信仰したのか。その疑問は大きく横たわる。ふつうに考えれば、征服民族の神を拝むくらいなら、無神論になったほうがマシであり、あるいは地下宗教として小さくアフリカの神を拝めばよかったはずである。しかし、黒人奴隷たちはキリスト教に改宗して白人たちの神を自分の神に置き換えた。
ここにはキリスト教の本質的な教えのなかに、受難を祝福に替える装置があったからだと言える。原始キリスト教の本質を考えれば、故郷を追われ漂白し、神の<約束の楽園(Promised Land)>へ帰還するというキリスト教の教義は、西欧の白人よりも、黒人奴隷たちの境遇にこそふさわしい教えであった。しかも、黒人奴隷たちはそもそも西欧のキリスト教をそのまま受容せずに、自分なりの消化吸収をして、アフロ・アメリカン的なキリスト教に改変した。黒人教会が白人教会と色合いを異にするのは、つまりそれが理由である。ある意味、別物の宗教とさえ呼べるような劇的な相違である。
宗教問題に触れたついでに、黒人とってのキリスト教の存在について、もう少し触れておこう。
キリスト教は自分たちをアフリカから強制移住させた人々にとっての神さまである。だから、素直に考えれば、黒人奴隷たちを幸せにするはずのない神である。ところが、黒人奴隷たちには、キリスト教以外に祈りを捧げる対象をもたなかった。カリブ海の島々にはアフリカ的土俗宗教儀礼を残したブードゥー教のような宗教も残ったが、少なくともアメリカではその手のアフリカ的宗教が入り込む余地がなかった。黒人奴隷たちもキリスト教的な世界に組み込まれるほかはなかった。
そこで仕方なしに、聖書や宗教音楽を黒人的に解釈し直して、黒人教会という屈折したキリスト教の受容を行ったのである。このキリスト教の受容はアフロ・アメリカンにとってはとてつもなく屈折した理路と諦観を通過している。黒人奴隷たちの末裔にキリスト教へのルサンチマンがないわけがない。自らを支配する白人たちの味方した神さまを拝む、ということが普通のことではないのは、少し考えれば誰にでもわかる。
この矛盾が黒人のなかで噴出するのが、第二次大戦後1950年代半ばから70年代までのブラック・パワー・ムーブメントである。アフロ・アメリカンにとっての宗教的矛盾であるキリスト教を問題視したときに登場したのが、黒人にとっての新たな宗教、イスラム教であった。
イスラム教がアメリカに根をはった大きな一因は、アメリカ黒人たちの宗教的な屈折を解消するために、イスラム教がその救いの手を延べたことにある(実質的には「アブラハムの息子」たちの宗教である、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同根の兄弟宗教。だから矛盾は完全に解消されていない)。イスラム教は西欧と対峙した抵抗の象徴であったことは、黒人たちにとって大きな崇拝の対象になった。宗教的には兄弟であるキリスト教とイスラム教であるが、文化的・国家的には、対立の歴史を持っており、ある一時期はキリスト教を打ち負かしたのがイスラム教とその文化であった。
60年代のブラック・パワー・ムーブメントの象徴であったマルコムXがブラック・モスリムの一員であり、イスラム教徒であったことも、そのような理由があった。
そのようなアフロ・アメリカンの宗教的な変遷も手伝って、ジャズもイスラム教と無縁ではない。とくに、公民権運動と密接に関係した60年代以降には、イスラム名を持つミュージシャンが何人も登場している。その点で宗教的な越境という意味も含めて、ジャズにおける宗教という問題もなかなか複雑にからみあっている。
ディキシーランド・ジャズの発展
再び、話題を南部に戻して、ディキシーランド・ジャズの発展について語ろう。
ディキーシーランド・ジャズはその後、その後酒場の音楽にも道筋をつけて、ラグタイムという音楽スタイルをつくることになった。ラグタイムは主にピアノ(アップライト)を中心に編成された簡易バンドで、街路の音楽ではなく、酒場のBGMであった。アメリカの西部劇の映画で描かれるように、ラグタイムというのはディキーシーランド・ジャズが酒場の音楽に入り込んだことを意味している。これは後のモダン・ジャズに継承される大きな一歩なので、とくに記憶されたい。
ラグタイム・ジャズの大きな特長は、管楽器が少数で、メインとなるのがピアノを中心としたインドア楽器であること。据え置きのドラムセットやウッドベースは、とてもとても町中を練り歩けるような種類の楽器ではなかったが、白人たちには好まれた楽器である。つまりその点からもはっきりわかるが、ラグタイム・ジャズは黒人たちのための音楽ではなく、白人たちの酒場をにぎわすための雇われ音楽だった。それゆえに、白人たちの好きな楽器、バンジョーやピアノやベースやヴァイオリンを取り入れて、アウトドアであったディキーシーランド・ジャズをインドア化したのである。
ラグタイム・ジャズには白人酒場の雇われ音楽であるという大きな転換点がある。大なり小なり、雇われて仕事をするということは、音楽家として職業が確立したということになる。また、宗教的な原点から出発した、民族的な音楽が商売のための道具になったことも意味する。その点で、ラグタイム・ジャズをこころよしとしないミュージシャンがいるということも耳にする。
ラグタイム・ジャズは白人の為の演奏ではあるが、演奏手がすべて黒人たちであったこともあり、まぎれもない黒人音楽そのものである。その意味で、黒人音楽が白人たちの娯楽空間に入り込んでいったことは、以後の発展のマイルストーンになったことは否定しがたい。
アメリカの黒人音楽を考察をする際にどうしてもさけて通れない問題が、黒人たちの宗教である、アフロ・アメリカン的なキリスト教の存在である。
なぜアフリカから連れて来られた黒人奴隷たちは、主人である白人たちの神であるキリストを信仰したのか。その疑問は大きく横たわる。ふつうに考えれば、征服民族の神を拝むくらいなら、無神論になったほうがマシであり、あるいは地下宗教として小さくアフリカの神を拝めばよかったはずである。しかし、黒人奴隷たちはキリスト教に改宗して白人たちの神を自分の神に置き換えた。
ここにはキリスト教の本質的な教えのなかに、受難を祝福に替える装置があったからだと言える。原始キリスト教の本質を考えれば、故郷を追われ漂白し、神の<約束の楽園(Promised Land)>へ帰還するというキリスト教の教義は、西欧の白人よりも、黒人奴隷たちの境遇にこそふさわしい教えであった。しかも、黒人奴隷たちはそもそも西欧のキリスト教をそのまま受容せずに、自分なりの消化吸収をして、アフロ・アメリカン的なキリスト教に改変した。黒人教会が白人教会と色合いを異にするのは、つまりそれが理由である。ある意味、別物の宗教とさえ呼べるような劇的な相違である。
宗教問題に触れたついでに、黒人とってのキリスト教の存在について、もう少し触れておこう。
キリスト教は自分たちをアフリカから強制移住させた人々にとっての神さまである。だから、素直に考えれば、黒人奴隷たちを幸せにするはずのない神である。ところが、黒人奴隷たちには、キリスト教以外に祈りを捧げる対象をもたなかった。カリブ海の島々にはアフリカ的土俗宗教儀礼を残したブードゥー教のような宗教も残ったが、少なくともアメリカではその手のアフリカ的宗教が入り込む余地がなかった。黒人奴隷たちもキリスト教的な世界に組み込まれるほかはなかった。
そこで仕方なしに、聖書や宗教音楽を黒人的に解釈し直して、黒人教会という屈折したキリスト教の受容を行ったのである。このキリスト教の受容はアフロ・アメリカンにとってはとてつもなく屈折した理路と諦観を通過している。黒人奴隷たちの末裔にキリスト教へのルサンチマンがないわけがない。自らを支配する白人たちの味方した神さまを拝む、ということが普通のことではないのは、少し考えれば誰にでもわかる。
この矛盾が黒人のなかで噴出するのが、第二次大戦後1950年代半ばから70年代までのブラック・パワー・ムーブメントである。アフロ・アメリカンにとっての宗教的矛盾であるキリスト教を問題視したときに登場したのが、黒人にとっての新たな宗教、イスラム教であった。
イスラム教がアメリカに根をはった大きな一因は、アメリカ黒人たちの宗教的な屈折を解消するために、イスラム教がその救いの手を延べたことにある(実質的には「アブラハムの息子」たちの宗教である、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同根の兄弟宗教。だから矛盾は完全に解消されていない)。イスラム教は西欧と対峙した抵抗の象徴であったことは、黒人たちにとって大きな崇拝の対象になった。宗教的には兄弟であるキリスト教とイスラム教であるが、文化的・国家的には、対立の歴史を持っており、ある一時期はキリスト教を打ち負かしたのがイスラム教とその文化であった。
60年代のブラック・パワー・ムーブメントの象徴であったマルコムXがブラック・モスリムの一員であり、イスラム教徒であったことも、そのような理由があった。
そのようなアフロ・アメリカンの宗教的な変遷も手伝って、ジャズもイスラム教と無縁ではない。とくに、公民権運動と密接に関係した60年代以降には、イスラム名を持つミュージシャンが何人も登場している。その点で宗教的な越境という意味も含めて、ジャズにおける宗教という問題もなかなか複雑にからみあっている。
ディキシーランド・ジャズの発展
再び、話題を南部に戻して、ディキシーランド・ジャズの発展について語ろう。
ディキーシーランド・ジャズはその後、その後酒場の音楽にも道筋をつけて、ラグタイムという音楽スタイルをつくることになった。ラグタイムは主にピアノ(アップライト)を中心に編成された簡易バンドで、街路の音楽ではなく、酒場のBGMであった。アメリカの西部劇の映画で描かれるように、ラグタイムというのはディキーシーランド・ジャズが酒場の音楽に入り込んだことを意味している。これは後のモダン・ジャズに継承される大きな一歩なので、とくに記憶されたい。
ラグタイム・ジャズの大きな特長は、管楽器が少数で、メインとなるのがピアノを中心としたインドア楽器であること。据え置きのドラムセットやウッドベースは、とてもとても町中を練り歩けるような種類の楽器ではなかったが、白人たちには好まれた楽器である。つまりその点からもはっきりわかるが、ラグタイム・ジャズは黒人たちのための音楽ではなく、白人たちの酒場をにぎわすための雇われ音楽だった。それゆえに、白人たちの好きな楽器、バンジョーやピアノやベースやヴァイオリンを取り入れて、アウトドアであったディキーシーランド・ジャズをインドア化したのである。
ラグタイム・ジャズには白人酒場の雇われ音楽であるという大きな転換点がある。大なり小なり、雇われて仕事をするということは、音楽家として職業が確立したということになる。また、宗教的な原点から出発した、民族的な音楽が商売のための道具になったことも意味する。その点で、ラグタイム・ジャズをこころよしとしないミュージシャンがいるということも耳にする。
ラグタイム・ジャズは白人の為の演奏ではあるが、演奏手がすべて黒人たちであったこともあり、まぎれもない黒人音楽そのものである。その意味で、黒人音楽が白人たちの娯楽空間に入り込んでいったことは、以後の発展のマイルストーンになったことは否定しがたい。
アフリカン・リズムと西欧楽器
南部の黒人奴隷たちが、アフリカのリズムを持ち込んで葬送行進を陽気に行ったときに、自然と西欧楽器が音楽に入り込んでいった。トランペット、コルネット、サキソフォーン、トロンボーン、チューバ、これらはみな西欧のつくりだした管楽器であり、アフリカに存在していた打楽器や弦楽器とはまったく形式・構造・音色を別にする。しかし、手近にあったそれでしか演奏し得なかった黒人たちは、アフリカの音楽を西欧楽器で必死に再現しようとした。そのことによって、ジャズは生まれたのである。
ここにジャズの原点がある。アフリカのリズムと西欧の楽器の融合。」「西洋技術、東洋道徳」、と幕末の思想家・吉田松陰や佐久間象山が説いたことのアメリカ的な表現がジャズのなかでは実現されていた。
ディキシーランド・ジャズ
アメリカ南部で生まれた、黒人の葬送音楽は、やがて日常性を持つようになりディキシーランド・ジャズへと発展していった。ディキシーランド・ジャズの特長とは、フューネラル・マーチング時代と変わらない管楽器の構成に、アドリブ(即興)という要素が大胆に発展していったことにある。葬送の行進曲であった音楽が、日常性のなかで人を楽しませる娯楽に転じていったことが大きな要因だろう。そこで、単にマーチであるだけでなく、「楽しさ」を加味するために、演奏者たちが芸としてアドリブ(即興)を披露したことが、のちのちのジャズの大きな要素を形作った。
即興音楽というと、すぐにジャズを連想する人も多いが、民族音楽にも即興の要素はいくらも入っている。世界的な音楽の歴史をみればわかるが、譜面をつかった固定的な演奏形態をもつ西欧クラシック音楽の方がむしろ異端の音楽であり、民族音楽の伝統を広く眺めれば、古来のフレーズとその即興的発展の演奏こそが、音楽的な主流であった。それゆえに、ディキシーランド・ジャズはそれを西欧楽器の演奏において復権したことになる。
ディキシーランド・ジャズは葬送儀礼からバンド演奏を日常世界へと移しかえた。それだけではなく、ハレ(非日常)の要素を生活のなかに持ち込み、娯楽にした。文字も読めない、西欧的な娯楽にも参加できない黒人たちに、町中で手ぶらで楽しむ余興をつくりだした。 つまり、音楽こそが強制移民させられたアメリカ黒人たちの唯一の娯楽だったといえる。
アメリカの南部でジャズが生まれたというのは、そうしたいきさつがある。もしも、南部にアフロ・アメリカンの大規模な隷従小作地がなかったら、ジャズは生まれなかったにちがいない。何も持たずに移民させられたアフリカの黒人たちは、しかしその体内にはリズムを持っていたし、キリスト教を仕方なしに崇拝するときも、その中に故郷の神を滑り込ませていた。たとえば、宗教性という意味では、キリスト教の同じ土台を持つ黒人のゴスペルでさえも、西欧のキリスト教とまったく同じでないのは、ゴスペルの中にはアフリカの神が生きているからである。それゆえに、黒人教会のキリスト教と白人教会のキリスト教は、まったく別物の発展をしているのである。それは単に集う会衆の肌の色の違いであるだけでなく、信仰に至る由来の違い、あるいは信仰の目的の違いといってもよいだろう。白人教会の信仰とはつまり保守であり、黒人教会の信仰とはつまり革新なのである。
だから、同じキリスト教と単純にふたつを混同するのは、あきらかに間違っている。賛美歌と黒人霊歌(ゴスペル)はその発祥や祈りの違いが明確であり、同質とはよべない性質のものである。
南部の黒人奴隷たちが、アフリカのリズムを持ち込んで葬送行進を陽気に行ったときに、自然と西欧楽器が音楽に入り込んでいった。トランペット、コルネット、サキソフォーン、トロンボーン、チューバ、これらはみな西欧のつくりだした管楽器であり、アフリカに存在していた打楽器や弦楽器とはまったく形式・構造・音色を別にする。しかし、手近にあったそれでしか演奏し得なかった黒人たちは、アフリカの音楽を西欧楽器で必死に再現しようとした。そのことによって、ジャズは生まれたのである。
ここにジャズの原点がある。アフリカのリズムと西欧の楽器の融合。」「西洋技術、東洋道徳」、と幕末の思想家・吉田松陰や佐久間象山が説いたことのアメリカ的な表現がジャズのなかでは実現されていた。
ディキシーランド・ジャズ
アメリカ南部で生まれた、黒人の葬送音楽は、やがて日常性を持つようになりディキシーランド・ジャズへと発展していった。ディキシーランド・ジャズの特長とは、フューネラル・マーチング時代と変わらない管楽器の構成に、アドリブ(即興)という要素が大胆に発展していったことにある。葬送の行進曲であった音楽が、日常性のなかで人を楽しませる娯楽に転じていったことが大きな要因だろう。そこで、単にマーチであるだけでなく、「楽しさ」を加味するために、演奏者たちが芸としてアドリブ(即興)を披露したことが、のちのちのジャズの大きな要素を形作った。
即興音楽というと、すぐにジャズを連想する人も多いが、民族音楽にも即興の要素はいくらも入っている。世界的な音楽の歴史をみればわかるが、譜面をつかった固定的な演奏形態をもつ西欧クラシック音楽の方がむしろ異端の音楽であり、民族音楽の伝統を広く眺めれば、古来のフレーズとその即興的発展の演奏こそが、音楽的な主流であった。それゆえに、ディキシーランド・ジャズはそれを西欧楽器の演奏において復権したことになる。
ディキシーランド・ジャズは葬送儀礼からバンド演奏を日常世界へと移しかえた。それだけではなく、ハレ(非日常)の要素を生活のなかに持ち込み、娯楽にした。文字も読めない、西欧的な娯楽にも参加できない黒人たちに、町中で手ぶらで楽しむ余興をつくりだした。 つまり、音楽こそが強制移民させられたアメリカ黒人たちの唯一の娯楽だったといえる。
アメリカの南部でジャズが生まれたというのは、そうしたいきさつがある。もしも、南部にアフロ・アメリカンの大規模な隷従小作地がなかったら、ジャズは生まれなかったにちがいない。何も持たずに移民させられたアフリカの黒人たちは、しかしその体内にはリズムを持っていたし、キリスト教を仕方なしに崇拝するときも、その中に故郷の神を滑り込ませていた。たとえば、宗教性という意味では、キリスト教の同じ土台を持つ黒人のゴスペルでさえも、西欧のキリスト教とまったく同じでないのは、ゴスペルの中にはアフリカの神が生きているからである。それゆえに、黒人教会のキリスト教と白人教会のキリスト教は、まったく別物の発展をしているのである。それは単に集う会衆の肌の色の違いであるだけでなく、信仰に至る由来の違い、あるいは信仰の目的の違いといってもよいだろう。白人教会の信仰とはつまり保守であり、黒人教会の信仰とはつまり革新なのである。
だから、同じキリスト教と単純にふたつを混同するのは、あきらかに間違っている。賛美歌と黒人霊歌(ゴスペル)はその発祥や祈りの違いが明確であり、同質とはよべない性質のものである。
文化的融合のための<るつぼ>
ジャズ音楽には音楽の始原のすべてが詰まっている。しかも、音楽に於いて越境を実現し、文化的な人種融合を果たしたはじめての近代的な文化がジャズだと言える。もちろん、原始時代に於いては、あるいは地域的には、文化を含めた人種融合がはたされていた地域もあるだろうが、国家が国境を引くようになってからのちは、おそらくそうした<るつぼ>の役割をしている文化はほとんど皆無ではないか。ジャズという音楽はそれをはからずも実現した偉大な音楽である。
ジャズの誕生
ジャズが誕生したのは1800年代の末、アメリカ南部であるといわれている。ジャズは、奴隷貿易によってアフリカから連れ出された奴隷労働者が、アメリカで新しく拓いた音楽ジャンルである。それゆえに黒人が発明した音楽と言われ、アメリカ南部の地域性と密接に関係していたのである。黒人奴隷がアフリカから連れ出されて、アメリカという新天地で見つけた新しい発見が、ジャズという音楽スタイルあった。
葬送音楽からの発展
ジャズ発祥にいたる過程には、アメリカの黒人奴隷たちが葬送行進のときに鳴らしていたマーチング・ブラスがある。奴隷労働者である黒人たちは、結婚や葬儀に際して、アフリカの習慣を持ち込むことができなかった。それゆえに、仕方なしにキリスト教に改宗したのである。実質的にはアフリカ的な神を信じながらも、その神を「主、イエス」におきかえて、自らの家族や仲間の幸せを祈った。その際に、音楽だけはアフリカの遺伝子を決して捨てなかった。アフリカの大地のリズムを持った音楽性を捨て去ることをしなかった。だからこそ、葬送行進の際にも悲愴な音楽ではなく、とびきり陽気なマーチング・ブラスになった。
悲しい現実に対して、陽気な音楽で対峙するのは、ひとつには現実逃避であるが、もうひとつには現実を理想において否認する強さを持つ。現実は変えていかなければならない現象として、黒人たちが強く意識していたからこそ、ジャズは越境性を文化にまで高めたと言える。
ジャズ音楽には音楽の始原のすべてが詰まっている。しかも、音楽に於いて越境を実現し、文化的な人種融合を果たしたはじめての近代的な文化がジャズだと言える。もちろん、原始時代に於いては、あるいは地域的には、文化を含めた人種融合がはたされていた地域もあるだろうが、国家が国境を引くようになってからのちは、おそらくそうした<るつぼ>の役割をしている文化はほとんど皆無ではないか。ジャズという音楽はそれをはからずも実現した偉大な音楽である。
ジャズの誕生
ジャズが誕生したのは1800年代の末、アメリカ南部であるといわれている。ジャズは、奴隷貿易によってアフリカから連れ出された奴隷労働者が、アメリカで新しく拓いた音楽ジャンルである。それゆえに黒人が発明した音楽と言われ、アメリカ南部の地域性と密接に関係していたのである。黒人奴隷がアフリカから連れ出されて、アメリカという新天地で見つけた新しい発見が、ジャズという音楽スタイルあった。
葬送音楽からの発展
ジャズ発祥にいたる過程には、アメリカの黒人奴隷たちが葬送行進のときに鳴らしていたマーチング・ブラスがある。奴隷労働者である黒人たちは、結婚や葬儀に際して、アフリカの習慣を持ち込むことができなかった。それゆえに、仕方なしにキリスト教に改宗したのである。実質的にはアフリカ的な神を信じながらも、その神を「主、イエス」におきかえて、自らの家族や仲間の幸せを祈った。その際に、音楽だけはアフリカの遺伝子を決して捨てなかった。アフリカの大地のリズムを持った音楽性を捨て去ることをしなかった。だからこそ、葬送行進の際にも悲愴な音楽ではなく、とびきり陽気なマーチング・ブラスになった。
悲しい現実に対して、陽気な音楽で対峙するのは、ひとつには現実逃避であるが、もうひとつには現実を理想において否認する強さを持つ。現実は変えていかなければならない現象として、黒人たちが強く意識していたからこそ、ジャズは越境性を文化にまで高めたと言える。
